2014年6月4日水曜日

売茶翁と仙台

煎茶の祖 高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)、仙台市の萬壽(万寿)寺、喫茶売茶翁


50年近く前の話ですので細かい部分は推測になりますが、両親と市街地を歩いていたときにやや年配の婦人が近づいてきて「バイサオっていう喫茶店、このあだりだべか?」と母に尋ねたことがありました。どのように母が答えたか覚えていませんが「バイサオ」という不思議な響きの名前がこども時分の私の頭に残りました。

2014年2月12日付日本経済新聞の文化面に、売茶翁に関する記事(ノーマン・ワデル「米国人を魅了 売茶翁」 ◇不思議な18世紀の禅僧、生涯・思想を英語の伝記に◇)が掲載され、これを読んでバイサオが売茶翁という禅僧であったことを知ったのを機に、仙台と売茶翁の縁について調べました。

Norman Waddell "BAISAO THE OLD TEA SELLER -Life and Zen Poetry in 18th Century Kyoto-"


高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)は煎茶の祖として、お茶の世界では広く知られているようです。主に京都で活躍した人ですが佐賀県の生まれで、佐賀県には売茶翁を顕彰する高遊外売茶翁佐賀地域協議会があります。売茶翁の略歴などがこのサイトにまとめられています。佐賀県や黄檗宗大本山萬福寺のある京都ではいろいろなイベントが催されているようです。

一方仙台の売茶翁ですが、一軒家風の建物の日本茶とお菓子を楽しめる喫茶店の名称です。グルメサイトの食べログに詳しく紹介されています。

http://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4001481/


先日訪れてみました。

通りの向かい側から撮影した売茶翁の入り口

この写真はGoogleのストリートビューに見えるかもしれませんが、自分で撮影したものです。ご覧の通り、ビルの谷間に静かに佇む木造家屋で風情があります。公開されている電話がないというのもいいと思います。


普段自分が飲むお茶とは別物に感じるおいしいお茶とお菓子をごちそうになり、店の謂れについて簡単に教えていただきました。


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創業は132年前で昭和22年以前は甘泉堂というお菓子屋だった。場所は今ある仙台市民会館向かい(仙台市青葉区春日町3−13)ではなく、旧(東北)電力ビル裏だった。創業者(初代)は売茶翁に心酔していて坐禅の修行も経験し、朝に無料でお茶をふるまっていたこともあった。

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とのことでした。
おみやげに大きくておいしいどらやきを買いました。




禅僧売茶翁と仙台の縁を示す記述が、下の写真の本「売茶翁偈語 訳注」P8ににあります。(注:書籍で使用されている漢字とは異なる字を代用している部分があります)

月海元昭(げっかいげんしょう)は売茶翁が11歳のときに佐賀県の龍津寺(りゅうしんじ)で出家したときの僧名です。

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 元禄九年(1696)二十二歳となるに及んで、たまたま下痢を患い困り愁い、自らの身をおくことができないほどであった。この時にあたって奮い立ち遊方(ゆほう)(行脚遍歴して、多くのすぐれた師をたずね、仏道の修行をすること。遍参(へんさん))参加詢(さんじゅん)(参禅して修行の進歩向上を詢(はか)る)の志を抱く。病が十分癒えていないにも拘わらず、行脚の旅支度をして、万里の彼方の奥州仙台に至り、開元山万寿寺の月耕道稔(1628〜1701)に参見し、かた・かとう(禅堂に入りとどまって修行すること。掛搭(かとう)・掛錫(かしゃく))して歳を過ごし、朝から夜まで努めはげんだ。
 出家した僧が師(受業師(じゅぎょうし))のもとを離れ、すぐれた師(明師(めいし))を求めて四方へ行脚して修行することは、古くから行われている修行のあり方である。若き月海もそれにならって九州佐賀からはるばる東へ向かい、江戸を経て仙台に入ったのである。この間に誰に参禅したかは不明であるが、月耕のもとに向かうのである。
 月耕は尾張名古屋の出身で、妙心寺派の名僧雲居希應(うんごきおう)(1582〜1659)が美濃にいた時弟子となり、雲居が仙台藩主伊達綱宗に迎えられて松島青龍山瑞巌寺に住したので、再び参禅し、綱村の帰依を受けて永安寺の住持となった。ところが雲居寂後延宝五年(1677)五十歳の春、黄檗第二代木庵性?(1611〜84)に参じ、黄檗派に転じて同七年木庵に嗣法した(印可を受けた)。翌年仙台に帰り引き続き藩主綱村の帰依を受け、同九年万寿寺建立して開山に請われたのである。恐らく月海は化霖(けりん)が以前月耕と何等かの交渉があり、薦められたものであろう。
 月海は、万寿寺月耕のもとで修行を重ね、元禄十四年正月一日七十四歳で月耕の示寂によって、万寿寺を辞して西下する。この年二十七歳であった。

(中略)

仙台の月耕道稔(げっこうどうねん)に参禅した月海は、月耕の示寂により万寿寺を辞してからは、臨済宗のみならず曹洞宗のすぐれた師を求めて、その門に学んだ。....

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全日本煎茶道連盟発行 大槻幹郎著 「売茶翁偈語 訳注」

これによれば若き日の売茶翁が22〜27歳までの5年間を仙台で過ごして修行したことになります。

今は仙台市青葉区高松にある万寿(萬壽)寺(まんじゅじ)を訪れてみました。




門は閉じていました。向かって左の駐車スペースが開放されていました。


門が閉じられており中には入れないため、門に向かって左側の低い塀越しに撮影した本堂


黄檗宗 開元山萬壽禅寺と読めます

以下の写真は門に向かって右側にある「黄檗宗 開元山萬壽寺沿革」の看板です


後半に、「京都宇治黄檗山萬福寺から斯界の〜月耕を開山の祖となした。」とあります


「〜奥州に於ける最初の黄檗宗を布く専門道場であった。元禄十年月耕大和尚は道稔と言い尾張名古屋の雲居和尚とと共に松島瑞巌寺に来て修道した。.....競って参禅し其の盛んなりし時は修禅者五百人の多数に上り幾多の高徳傑僧が輩出せりと云ふ。〜」とあります


「〜明治二年薩長軍の據るところとなり廟は破却せられ版籍奉還と共に寺録を失い著しく荒廃し月耕の塔所で〜〜平成三年十月三十一日本堂並びに庫裡を建立、さらに平成八年四月二十三日中国形式三層三門建立し此に至る。〜」とあります

ここには月海あるいは売茶翁という名前は見当たりませんが、師であった月耕についての記述を見る限り、若き日の売茶翁であった月海がここ萬壽寺(の以前の建物)で坐禅の修行をしていたと推測してよさそうです。


上記の「売茶翁偈語 注釈」(P169〜170) から売茶翁が83歳のときに作った偈を引用します。

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今茲丁丑元旦(こんじていちゅうがんたん)、忽(たちま)ち憶(おも)う六十年前、余年二十三、上元の日を以って、武江を発して仙台赴き、途中雪に阻(とど)められしことを。因って此の偈を作る。

東行(とうこう) 昔日(せきじつ) 丁丑に値(あ)う

老いたり 八旬(はちじゅん) 三を添え得(う)

唯だ此の寿量(じゅりょう) 今古(きんこ)を絶す

一条の椰(しつ)りつ 是(こ)れ同参(どうさん)

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以下抜粋、一部省略編集

◯東行 東の方の国へ行く // 旬 十年 // 寿量 寿命の長さ // 三を添え (
八十を)三歳越えて // 今古(きんこ)を絶す 時間を超越する // 椰(しつ)りつ 中国天台山に生える木で、柱杖を作るのに適する。転じて杖をいう // 同参 兄弟弟子。共に修行する者

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自分は煎茶道の心得はありませんが、往時の売茶翁をしのんで佐賀県の龍津寺や京都の萬福寺を訪れてみたいものです。また佐賀や京都の顕正会の方々にも仙台を訪れて欲しいと思います。